裏プロフィールその3-釣り師編-

趣味の発見

この裏プロフィールのページでは過去の出来事、考え、行動について書いてきているが、想いつきや思い出した事柄の羅列になっており時代的にかなり後先するがご勘弁願いたい。

今までの人生における“釣り”について書いてみる。自営を創めて4年がたった頃、仕事量が安定し、次なるモーションをと考えた。これからの永い人生の中、趣味の一つでもなければならないと感じた。当時、周りにいた棟梁、親方衆、職人さんは私と親子ほど年が離れており、酒とギャンブルが趣味と言っていた。それは趣味とは言えない。多岐にわたり考え、素直に結論がでた。

魚釣りがしたい!

動機は単純、子供の頃の夢の実現である。今なら実現できるかも?磯釣りへの憧れ、海には想像もつかないほどの怪獣(海獣)がいる。世界の海とはつながっているのだ。無論、深海も含め。そのワクワク感がたまらない。次の項で子供の頃の釣りとの出会いを書いてみる。

初めての釣り

初めてやった釣りはのべ竿でのフナ釣り。母以外の誰かに連れて行ってもらった。小学校の低学年だったのははっきりしている。サラリーマンをしている母と自由に目一杯遊ばしてもらえるのは夏休みだけである。海水浴に連れて行ってもらった際に見た釣り人たちの姿、テレビで見た魚釣り、特に磯の大物釣りは画面に釘付けになった。初めての海釣りは、母に道具を買ってもらうことから始めた。念願かなって投げ釣りの竿とスピニングリールを手にした。当時最高の糸、テーパーライン。

すべてはっきり記憶している。仕掛けは、世に出たばかりのジェット天秤と三本針の投げ釣りセット。エサはゴカイ。場所は須磨海岸。神戸周辺の海の自然地形は砂浜とゴロタ浜だけである。小磯などは存在しない。よって海釣り=投げ釣りなのである。

須磨海岸に着き、仕掛けは作れた。糸の結び方はデタラメであるが。しかし、すぐに困ったことになった。投げ方がよくわからない。母は近くにいたおじさんに声をかけ教わった。“投げて糸を張っていると、クン、クンとなるよー”と説明された。第一投目、上手く飛んだのを記憶している。でも距離にして20メートルも飛んでいなかったろう。糸を張り、砂浜に腰を下ろそうとしたところ、竿先がクン、クン。“上手いこと投げられたやん!”とおじさん。“今、竿がクン、クンしたでー!”と私。“そんなすぐ釣れへんわー”とおじさん。気持ち的には早くリールを巻きたかっただけなのかも知れないが、たしかにクン、クンした。とりあえず少し待つことにした。しかし再びクン、クン。母やおじさんのことは頭に無い。だってクン、クンしたもん!無心でリールを巻いた。

初の獲物

“魚がついとー!(付いている)、と私。テンコチが2尾。関東でいうメゴチである。勝手がわかった(本当は解っていない)。その後も、時にオマツリした人の仕掛けを切って返したり、投げ損なったり、多くの失敗を繰り返しながらシロギス、カレイなどの小魚を沢山釣った。海水浴で海に入ると、何度も魚を踏むくらい魚影が濃かったのを付け加える。

意欲

その後の私はで釣りの入門書を色々と買った。そして益々興味が膨らんだ。もっとカッコの良い魚を釣りたい。自分にとっては根魚ではなく、マグロやカツオといった形がカッコ良いと思っていた。子供が描く魚の絵のような形である。それらは中層にいる魚で投げ釣りでは無理と判断していた。しかしそのうち海中をイメージすることにより、新しい仕掛けを思いついた。投げ釣り仕掛けの先端の針の部分に、セル玉ウキを付けるというもの。こうすれば遠くの中層を狙える。試したことはないが小学生のひらめきであった。今思えば底から30センチ程度しか上を釣れないのが問題である。しばらくして中層の魚を釣るチャンスが訪れた。

中層の釣り

対象魚はカッコ良い魚。サバ、アジなどである。釣る楽しみにおいて、その種類はどうでもよかった。きっかけは神戸港にポートアイランドができることであった。突堤での釣り。行った場所は、神戸の中突堤、ポートタワーのある所である。大事な投げ釣りセットを持って堤防に着くと、何か変。他の釣り人が使っている竿が異常に長いのだ。それに針がいっぱい付いている。サビキと言う名前は、だいぶ後になって知った。仕掛けの先端にオモリを兼ねたカゴが付いており、そこにアミエビを入れて竿を上下する。私は意味も無く大遠投を繰り返したが、撃沈であった。道具が無ければ釣れない!悟るのは早かった。

自宅から自転車で20分ほど離れたところに釣り道具屋があった。安くて長い竿が欲しいと希望を出して、出てきたのが5,4メートル(3間)の並継ぎ竹竿、¥390也。当時流行のグラスロッドはそれの約10倍、躊躇せず竹竿購入。それにちょっと高かった記憶があるサビキ仕掛けとナス型オモリを手に、再び母と中突堤に行くことにした。

今度は釣れる!確信していたし、その通りになった。アジ、サバ、アジ、サバ・・・・。スズナリになるサビキ仕掛けは爽快そのもの。近くにいたおじさんが“大きいアジやなー!”。“???”と、私。“小さいサバやなー!”と、おじさん。

その日はその後も釣れ続いたが、何かが違うと感じていた。

磯釣りへの憧れ

違い。それはロケーションだったと今にして分かった。自然の部分が海面以外に見当たらないのである。岩場(磯)に対する憧れが完全に根付いた。そしてホームグランド(?)を淡路島に移した。

明石から播但汽船に酔いながら淡路島の岩屋へ。お腹も足も船酔いなのだが前へ進む気持ちが強く絵島へ。絵島とは港のすぐそばでピンク色っぽいコンクリートで固められた磯である。付け加えると、道から数メートルで普通の観光の人も覗きに来るような「本来、釣りをしてはいけない場所?」なのかも知れない。しかしそこは魚の宝庫。カッコ良い魚が釣れた。それはベラ。正確にはキュウセンである。関西の魚屋ではこれを売っている。まさに魚屋で売られているものが自分の手で釣れるのだ。価値ありの一尾・・・・・大げさである。仕掛けを公開すれば、振り出しのべ竿(竹からバージョンアップした)、適当な糸、セル玉ウキ(上下が赤、黄で色分けされてるものが好き)、適当な針+ハリスのセット、適当な位置にカミツブシを1~2個。エサはいつもゴカイであった。無論、今のような撒き餌(コマセ)などは考えもつかない。勿体なさ過ぎる。基本はのべ竿を操り、投げ釣りタックルは置き竿にし、母には竹竿を与える(?)方法だった。その他、堤防でグレを大量に釣ったこともあり大好きな場所であった。

以上が私の小学生時代の釣り。たまに手に入る週間釣りサンデー、月間釣りはとても大事にし、テレビで釣りをやっているのを見た時は釘付けになった。放映されていた磯釣りは、島根県隠岐の島(おきのしま)が多く、聖地だった。